2020.12/02 脚本と自律
「自律は幻想」というエリック・バーンの脚本の意味。「自律できない」という意味で無く、「未完全な自律を許容する」という「愛」の意味なのだろう。確かに人間は、構造上完全に独りでは未来ときりはなされてしまう。確かに人は、愛によって活きる。依存や甘えの病理と違う点は、習慣性・恒常性、つまり「感謝の視点」なのだろう。
2020.11/22 共有と独り
感覚は、共有できる部分もあるけれど、それが、厳密であれあるほど、共有するのは難しい。だから厳密なレベルでは、人は独り。厳密な感覚を持っているものは、ずっと独り(孤独)。
2019.09/19 何のために生まれた
 「私は何のために生まれたか?」青春時代の課題であり、自己アイデンティティー確率時には誰でも想うこと。
「人は、何のために生まれたか」人は「愛されるため」に生まれるのではなかろうか?。だから人は単独から発生しない仕組みを用いて、単独で成長できない仕組みを背負っているのではなかろうか?。
 人は愛され成長する仕組み。しかしながら、「愛」は充分でなく、だいたいはほどほどで、だからこそ、その満たない愛を獲得するために様々な技能を身につけ迷いながら成長するのではなかろうか。成長する自分を愛することで迷う自分を愛することで愛を生める人になり、成長する他者を迷える他者を愛せる仕組みではないだろうか。
 愛を、奪いつづける人になるか、愛を作り出す人になるかの分かれ目は、成長つまり、自我アイデンティティーの確立という境目なのだろう。つまり自律性。
 愛が充分感じられない人は、自分の生まれた意味=自分を活かす方法をみつけることがぼんやりと遠く感じられる。生きる意味などないとすら思うコトもある。だからこそ、言おう、人は愛されるために生まれたきたのだよ。ニセモノの愛(条件付の愛)に踊らされないために、人から貰うために自分を滅しないために、本当の自分を本当に愛せる自分になればよいのだよ。見せかけでなく、それは格好悪い部分も含むけど、理想でない愛は、現実の愛は、痛みを知って居る。格好悪い自分にそっと寄り添うことだたりする。自分と一緒に泣いてくれることだったりする。